さむ|今日もげんきになる投稿

大阪出身、大学進学を機に沖縄に移住。

私が沖縄に来た理由

こんにちは、さむ実です

 

都会から地方に来たせいかわかりませんが、

「大阪出身です」

というと、

「なんで沖縄に来たの?」

とよく聞かれます。

 

ちゃんと答えると長くなるので省きがちになってしまうんですよね。

そうしていると、自分でも、「なんでだっけ?」となることが増えました。

なので、今回は一度しっかり言葉にしておきたいと思います。

 

f:id:sammi_36:20200422140033j:plain


 

 

なぜ沖縄に?ふたつの理由

私が沖縄に来た理由はふたつあります。

  • 農学部に来たかった
  • 沖縄が好きだから

 

今回はこのふたつに焦点をあてて話していきたいと思います。

 

 

農学部に行こう

農学を学ぶという発想

私の夢は前回のブログでも語りましたが、「生まれた環境で苦しむ人を減らす」ということでした。

 

sammi-36.hatenablog.com

 

いまはあまり海外にこだわっていませんが、以前は「途上国(特に極貧国)に行きたい!」という気持ちが強く、その時に「じゃあ今後何を学んでいこう?」と思った時の候補の1つが農学でした。

 

極貧国では、土地が細いからいろんな人が飢餓に悩んでいるんじゃないかと考えたからです。

そういった国に土地の耕し方やその土地にあった食べ物を教えたり機械を導入できれば、その人たち自身で収入がつくれると思っていました。

 

 

農学以外に考えていたのは、医学、国際学でした。

というか、高校1年生の時、考えていたのはどちらかというと医学か国際学のふたつでした。

医学部に行くなら理系、国際学部に行くなら文系、という狭間でずっと悩んでいました。

 

結局、「今自分ができる中で一番難しくてしんどいことをしよう」という発想で、医学部を志望することに決め、理系の道を選択します。

 

 

医学部に落ちた

もともと裕福な家庭でなかったこともあり、進学するなら国公立というのが条件でした。自分の中でも「私立にはあまり行きたくない」というのもありました。

 

しかし、国公立は私立と比べて学費が安い分偏差値が高くなりやすいため、国公立の医学部医学科というのは難関、さらに都会の国公立となると最難関でした。 

そこから2年間、部活と両立しながら自分なりに必死に勉強したのですが、「偏差値が足りそうにないな」という感覚があり、地方大学への進学を考えたときに思い浮かんだのが沖縄でした。

 

琉球大学の偏差値がめちゃめちゃ低かったからとかそういう理由ではなく(実際他大学と大きな差はない)、純粋に家族ぐるみで沖縄が好きだったから、という思いが強かったです。

「沖縄が好き」という話はあとでしますね。

 

そういった経緯で、琉球大学医学部に向けて勉強を始めました。

 

高3の夏にはオープンキャンパスにも参加します。

医学部には医学科と保健学科があり、医学科の説明は午後からで午前中空いていたので、その時に立ち寄ったのが農学部でした。

 

あの時他学部を選んでいたら、私はもしかしたら農学部にいないかもしれません。笑

その時説明してもらった先輩がすごく楽しそうに説明してくださったのを覚えています。

 

 

そして、センター試験を迎えるのですが、医学部医学科に行くには足りる点数ではなく、ほかの志望先も考えなければいけない、となりました。

 

  • 点数が足りないまま医学部を前期も後期も受けて落ちたら浪人するか
  • 後期だけでも別の学科に出願するか

という選択を迫られます。

 

センター前は「点が足りなくても浪人してやる」という気持ちでしたが、両親に浪人を反対されたことや浪人に対して弱気になった部分があり、「別の学部の受験をしようかな」と思い始めました。

 

そこで思い浮かんだのが農学部でした。

先ほど説明したように、もともと興味のあった学部だったということ、 そしてオープンキャンパスでみた先輩が熱中していたからきっと面白い学問なんだろうということを踏まえての結果、行きついた答えでした。

 

 

農学部に進学しようと思ったもう一つの理由

という理由のほかに、もう一つ理由があります。

 それは、「将来やりそうなことからちょっと離れたことをしたかった」ということです。

 

これは1つめと真逆の話になるかもしれませんが、これは農学部に少し興味を抱いた当時にしたいと思っていたことと、医学部に向けて勉強していた2年間で考えが少し変わったことが原因です。 

変わった考え方というのは、医学部に入ろうと思ったくらいから、貧困などで苦しんでいる人は先進国にだっているし、性別やジェンダーで苦しんでる人もいて、私はそういう人を救うのにだってきっと喜びを感じられるだろうなと思ったという部分です。

 

「別に極貧国でなくてもいい」

と思うようになると、私の夢を実現するにあたって、農業ってあんまり必要ないような気もします。

もしかしたら思わぬところで強みになるかもだけど。

そして私は、その「思わぬところ」を期待しています。

 

 

自分の思ったところにまっすぐいけなくなったからこそ、「これは寄り道しなさいってことかな?」と思い、「じゃあ、好きな学問をやろう」と考えました。

 

そこで、中3くらいから生物学が好きだった私は、「農学部に行ったら植物扱えるし生物の勉強も役に立つやろ!」と思って農学部に決めたという部分もあります。

 

理学部にも生物を勉強できる学科もあるのですが、理学部ってずっと数学科とか物理学科のイメージで。

さっきもいったように、考える時間がセンター終わってから志願書提出期限までの数週間だったので、イメージ優先で学部を決めてしまいました。

 

別に間違いじゃなかったとは思いますが、事前にちゃんと学部を調べておけばおかったなと思います。

「生物が好きで農学部にしました」と言っても、「なんで理学部じゃないの?」とツッコまれたときに答えられないのがしんどいですね。

 

 

 

農学部に行くなら…沖縄かな?

農学部に行こう」と決めたとき、「やっぱり都会より自然と距離の近い地方がいい」と思いました。

 

でも地方に行けば、なかなか県外に出れない、ましてや都会には(お金や時間の問題もあるので)なかなか出ていけないという想像は容易につき、

「じゃあ、自分の好きな地域に行こう」

と思いました。

 

そこででてきたのが沖縄でした。

沖縄がなぜ好きだったのかは次に話しますね。

 

 

それから、もともと私が「農学部にいってもいいな」と思い始めたのが、「途上国の農業を盛り上げたい」というイメージがあったという話もしました。

途上国には暖かい地域が多いイメージだったので、そういう点でも、日本で唯一の亜熱帯である沖縄というのは魅力的でした。

 

以上が、私が沖縄に進学しようと思った、1つめの理由です。

 

 

 

沖縄が好き

家族旅行でよく来ていた

沖縄に来た2つめの理由は「沖縄が好き」ということです。

これは、中高生のころから、よく家族で沖縄に来ていたことが大きいような気がします。

 

中高生の時は私の部活が厳しく、確定している休みは年末年始のみ。

(お盆休みもありましたが、日程が前後しやすかったです。)

そんな状況であっても、年末年始に合わせて飛行機をとり、沖縄で年越しをしたことが2.3回ありました。

 

父が車を借りて、伊計島や古宇利島などに行ったり、首里城を観たりしました。

沖縄の一番好きな部分は自然でした。

 

沖縄で特にオススメするスポットは「斎場御嶽(せいふぁうたき)」と呼ばれる神聖な場所で、自然の広大さとともに、神々しさも感じられてとても好きです。(南部にあるから行きやすいしね)

 

話を戻しますね。

そうやって、沖縄に何度も行くうちに、沖縄の自然や文化に触れあうことができ、文化の独特性や自然の広大さを感じるたびに「いいなあ」と思うようになりました。

 

移住してからは、思ったほど自然に触れ合う機会はなかったような気もしますが、それでも友達と遊びに行った帰りにふらっと「海寄ろー」と言えたり、一日休みができたときに「離島に行きたいです!!」といえば友達が連れて行ってくれたりするので、間違いじゃなかったなと感じています。

 

 

 

暖かいところが好き

沖縄が好きなもう一つの大きな理由としては、自分が結構な寒がり体質、という部分が大きいのかな、と思います。

 

冷え性で、夏も「クーラー効きすぎちゃう?」と思うことが多く、おなかも壊しやすいため、寒さは天敵です。

だから「暖かいところに住んでみたいなあ」と思っていました。

 

好きなところに住むとか好きなところで勉強するって、すごく大事やと思うし、そこの気候が自分と合ってるならそれ以上にいいことってないと思うんですよね。

だから私は、沖縄に進学を決めました。

 

 

これから

学んだこと

大学選びで学んだことは「失敗したときのことをちゃんと考えること」つまりリスクヘッジをしておくことです。

 

高校生のころは「自分が落ちるんじゃないか」と考えるのが嫌で、点数が足りなかった時のことをあまり考えていませんでした。

もっと言えば、「浪人しようかな」という考えはあったのですが、両親に浪人は反対されていました。

でも点数をとれないことを考えるのも、ましてやその想定で親と議論するのも嫌でした。体力使うし。

 

そうやって失敗の準備をせずにセンターを受験して、点数が足りないとわかってからほかの学部に行くことを考え始めました。

 

私はどちらかというと農学でフィールド的なことをやるイメージで入ったし、生物学を学ぶつもりで入りました。

でもうちの学科は、どちらかといえばホワイトカラー(研究特化)だし、農学や植物の研究となると生物もだけど化学もがっつり使う、といったギャップに入学してから気づきました。

 

こうならないように、本来なら高3の夏や高3になる前の時点で、最悪の状況も考えて周り(今回の場合なら両親)と相談しておくことが必要だったと思います。

失敗の想定は、絶対にしておくべきなんだと学びました。

 

 

ポジティブな面でも学んだことがあります。

それは、「全力でやるなら寄り道してもいい」ということです。

 

医学部に向けた勉強をする中で、「自分はどんな医者になりたいだろう、医者になったらどんな人を救いたいだろう?」ということを考えることが増えました。

その考えた内容については、医者になれない今では役に立たないかもしれません。

 

でも、その時に「助けたい」と思った人たちの共通点を考えると、「環境に恵まれない人」というのが浮かび上がりました。

そしてそれが今の夢に繋がっています。

 

「必ずしも極貧国に行きたいわけではない」と気づいたのも本気で医者になるために考えたからこその結果だと思います。

 

 

 

これからやりたいこと

大学進学の件はいいようにも悪いようにも捉えられて、沖縄に来たからこそ今ブログ書いたり学生団体にも入れているのでありがたい限りです。

 

 

「フィールドワークが思ったより少ない」というのは想像とのギャップがありましたが、その分「研究者にしかわからないこと」がわかるのは利点だと思います。

現時点で研究職に就くイメージは薄いですが、だからこそ、「全力の寄り道」に最適だと思います。

 

「研究者の考え方」や農業、もしくは自分の研究分野(今後確定する)に関しては最強になってやるくらいのつもりで取り組んでいきたいと考えています。

 

 

また、医学部に入れなかった分、学校の勉強以外に使う時間が医学部生になるときよりも増えるんじゃないかと思います。

だから、アクティブに学生団体に関わったり、ボランティアに行ったりということもできると思うので、積極的にやっていきたいます。