Zoom、1日3人はキツイ。
一昨日、予定を詰めすぎてZoomで話すのを1日に3人に設定してしまった。
今noteで「あなたについて書きます」という内容で企画をやっている。
8月12日には実家に戻る予定なので、それまでに話せる人と話しておきたいと思うと、そういうスケジューリングになってしまった。
ちなみに以下がその企画。
オンラインで合うことが普及したおかげで、遠くの人に会えるようになったし、短い時間で合うことも可能になったから、1日に何人もの人と県をまたいで顔を合わせることが可能になった。
その反面、オフラインでも同様かもしれないが、初対面の人や話慣れていない人と1日に何人も合うのは気疲れする。
しかもオンラインはネット回線やお互いのパソコンのスペックなどにより、音量が聞き取りづらかったり、画像や音声が止まってしまったりもする。
相手の顔が見えるとはいえ、非言語的なコミュニケーションは顔の表情のみになることが多い。
話が上手な人は手も使って話すが、話している最中に自分の手がカメラの写せる範囲に入っていないことに気づくこともある。思ったよりうまくいかないものだ。
まあ、1対1ならまだ相手の話に耳を澄ませるだけでいい。
困るのは大勢のミーティングだ。
幸い?私は今所属しているのが学生団体1つだけだ。しかも学生メンバーは5人、協力してくださる社会人を含めても最大9人のミーティングだから問題は少ないだろう。
みんなミュートにしていなくても生活雑音が気になることはほとんどない。(これはだれの家の生活音かわかるからかもしれない。原因不明は何事においても不快だ。)
ただ、1対1以上に大人数がつかれるのは、話したいタイミングが被ったときの調整などかと思う。どうしても譲り合いになってしまうから。
それから、ミーティング前後の雑談の時間。
早めにルームを開けば、雑談する時間も生まれるが、残念ながらZoomなどでは、ひとりが話している間にもうひとりが別の話をすることが難しい。
だから、AさんがBさんとの共通の話題を話している間に、CさんとDさんが2人の共通の話題を話すことができなくなってしまう。
できるだけその場にいる人の最大公約数をとった話題を話すか、聞かれることをお構いなしに少数の共通の話題について話すかの2択になってしまうのが難しい。
7月の半ばに大阪に帰ったとき、10人前後の人が集まるある会合に参加した。
当時はコロナが収まっていたこともあり、オフラインで集まったのだが、社会人は仕事の話、学生は学校の話、また組を変えて進路相談や今後のこと、すぐ明日のことなど、その人その人に合わせた話ができたのが楽しかった。
オフラインの良さってこういうところにもあったんだなあ、と、久ぶりに人と対面して思った瞬間だった。
だがこんなご時世だし、オフラインがいいと駄々をこねても何も始まらない。
1日3人がキツイと感じるなら2人までにするとか決めるなど、対処の仕方は何でもある。
いつかオフラインの喜びをしっかりかみしめられるように、オンライン生活も楽しもう。
#Zoom #オンライン #オフライン
「自殺」と聞くとラッキーだったと思う
こんにちは。
今回は少し重めの話を書こうと思います。
それは、自殺について。
最近ニュースで、自殺の言葉をよく聞くようになったので。
以前は学生がいじめにあって自殺してニュースになるケースが多かったように感じますが、最近は芸能人が自殺するケースが相次いでいますね。
とても残念に思います。ご冥福をお祈りいたします。
今回はその自殺について思うところがあるのでその話をしていきたいと思います。
※今回の記事は三浦春馬さんとは関係ありません。
三浦さんのご冥福をお祈りいたします。
なぜラッキーだと思うのか
不謹慎なタイトルだったかな、とも思います。
「自殺」と聞いて、ラッキーだと思うなんて。
それは、別に「○○が死んでくれてよかった」という意味ではありません。
そんな風に思ったことは一度もありません。
でも、釣りのためにこんなタイトルを付けたのでもありません。
少し、私の思い出話に付き合ってください。
私は小学1年生から3年生の間、いじめにあっていました。
くわしくお話ししたいところですが、残念ながら詳しい記憶がほとんど残っていません。思い出せる範囲で書いていきたいと思います。
いじめのきっかけは何だったか覚えていません。
気付けば、いじめにあっていました。
母から聞くには、私は当時成績が良かったので、それを妬まれていたそうです。
もともと天然パーマがひどかったので、それをいじられたり、悪口を言われたりしました。無視もされたのかな…、あんまり覚えていません。
覚えていないのは、あの空間から抜けることができたときに、解放されたくて、つらい気持ちを持ち続けたくない一心だったと思います。とにかく、詳しいことは覚えていません。
いくつか記憶に残っているのは、靴を隠されたことと、私がどうしても外で遊びたくなって、ひとりで校庭に出て雲梯(うんてい)で遊んでいる間にお道具箱に入っていたでんぷんのりがイスにこぼされていたこと。あとは、母から鉄棒から落とされて頭売って帰ってきたこともあるよと教えてもらったことがあります。鉄棒から落とされたの覚えてないってナニゴト。
周りに相談できる大人がいなかったのは覚えています。母からも祖母からも「なんかあったらいいや」と言われましたが、もともと他人に迷惑をかけたくない性格だったのもあり、もともと自分のかっこ悪いところを見せるのが嫌な性格もあり、身内に相談はできませんでした。
それでも母は交換日記を使うなどして、なんとか気づいて学童をやめさせてくれたりといろいろ対処してくれました。
先生を頼れると思ったことはありませんでした。圧倒的に見て分かるはずなのに何の対処もされていない。その中で「何かあれば言ってね」と言われたこともありますが、現状なにもできていないのに、これ以上話して何になるんだろう、と思っていました。
結局転校することでしかいじめを解決させられず、ひとつ校区が遠い小学校に通うことになります。そこでは友達もでき、残りの3年半を平和に暮らしました。
私が一番記憶に残って離れないのは、最後転校する前に学童の先生が気を遣って(?)私を前に立たせ、「この子が転校します」と紹介してくれたのですが、その時同じクラスで同じ学童に通っていた男の子に思いっきりガッツポーズをされたことです。
「ああ、私って本当に要らない存在だったんだな…」と改めて感じました。
前置きがずいぶん長くなりました。
「自殺」という言葉を聞いて、私がラッキーだったと思う理由についてちゃんと話します。
その理由は、どこまでひどいものだったか忘れましたが、いじめにあい、自分の存在価値を見失い、誰を頼っていいかわからなかった私が、自殺を図らなかった理由と重なります。
「自殺」を知らなかったからです。
それは、明瞭におぼえています。
小学3年生だったか4年生だったか、転校した後のことでした。
おばあちゃんの家で、ニュースを見ていた時、ある学生がいじめが原因で自殺した話を聞きました。そこで、初めて自殺という言葉を知りました。
もしかしたら、死ぬことを本当に理解したのもその時だったかもしれません。
「自分で死ぬことができるんだ…。私が『自殺』と、そのやり方についてあの時知っていたら、私はもしかしたら…」
そう思った感覚は、忘れもしません。
「自殺」という言葉を聞くたびにラッキーだったと思います。
その言葉と、意味と、やり方を知るのがもう少し早ければ、私という人間はこの世にいないかもしれません。
その言葉を知らなくてよかった。聞いたのが今でラッキーだった。
寝るのだけが一番の楽しみだったあの頃、今のように寝る間を惜しんで人と会い、寝る間を惜しんでブログを書く未来なんて想像もしなかった。
死ななくてよかったと本気で思っています。
逃げれるなら逃げよう
「死ぬくらいなら逃げよう」理論には賛否両論あります。
というか、そもそも、逃げれる範囲なんて限られています。
子どもが虐待で苦しんでいるとき、親から100%逃げられるかと言われればそうではありません。
過去のトラウマにとらわれて苦しんでいる人が、環境を変えて逃げられるかと言われれば疑問が残ります。
もう一つ。
以前、Twitterであるあるマンガを読みました。
そこに書いてあったのは「辛くて逃げてもいいと言うけれど、なぜ被害者側が苦労して環境を変えなければいけなくて、加害者側は能々とそのままでいれるのか」という内容でした。
その話も、確かに、と思う部分がありました。
でも、もし逃げられる環境なら逃げた方が良いと思います。
転校できるなら転校した方が良い。
親戚の家に行けるなら行った方が良い。
保健室登校で許されるなら、保健室に通えばいい。
そうして自分の命が守れるなら、守った方が良いです。
そうして生き延びたら楽しい未来が待っている、なんて、キレイゴトは言えません。
私だって今でもあのガッツポーズを思い出して悔しくなるし、いじめられていたころから他人の目線を気にする癖は抜けないし、なんとなくずっと死にたいです。笑
正直そんなもんです。いじめがなくなったからって、その時否定された事実も記憶もなくならないので。
でも、あの頃よりずっと楽しく生きています。
苦しい思いをする頻度もあの頃よりはずっと減りました。
逃げることですべてが楽になるわけではないけれど、逃げて、環境を変えるだけで救われる可能性だってあります。
だから、死ぬか迷うくらいなら、必死にその環境を変えてみてください。
まだ助け方がわからないんだ
正直、死にたいと思っている人の助け方なんてわかりません。
私は、その環境を抜けた後で「自分で死ぬ」ことを覚えたので。
でも、何か伝えることであなたが助けられるなら、うれしいです。
アドバイスをすることはできませんが、話を聞くくらいならできます。
「そっか…」しか言えない私でよければ、話は聞きます。
「死なないで」なんて、言えません。
その気持ちは、わからないから。
例えいじめにあっていたとしても、私とあなたの状況は違うし、未来も違う。
死なないことで必ず救われるというのは、幻想かもしれないから。
でも、死ぬことは最後でもできるから、だったら生きているうちにできる手段全部使いませんか?と思います。
環境を変える。学校を変える、会社を辞める、家を出てみる。
何でもいい。必死で生きようとしてみてほしいです。
私は「自殺」をあの時知らなくてラッキーだったと思います。
だってこんなに応援してくれる人に出会えて、夢を持てて、友達に出会えて、自分の言葉で伝える術を持てているから。
自殺するのは、最後の手段にしましょう?
私が沖縄に来た理由
こんにちは、さむ実です
都会から地方に来たせいかわかりませんが、
「大阪出身です」
というと、
「なんで沖縄に来たの?」
とよく聞かれます。
ちゃんと答えると長くなるので省きがちになってしまうんですよね。
そうしていると、自分でも、「なんでだっけ?」となることが増えました。
なので、今回は一度しっかり言葉にしておきたいと思います。
なぜ沖縄に?ふたつの理由
私が沖縄に来た理由はふたつあります。
- 農学部に来たかった
- 沖縄が好きだから
今回はこのふたつに焦点をあてて話していきたいと思います。
農学部に行こう
農学を学ぶという発想
私の夢は前回のブログでも語りましたが、「生まれた環境で苦しむ人を減らす」ということでした。
いまはあまり海外にこだわっていませんが、以前は「途上国(特に極貧国)に行きたい!」という気持ちが強く、その時に「じゃあ今後何を学んでいこう?」と思った時の候補の1つが農学でした。
極貧国では、土地が細いからいろんな人が飢餓に悩んでいるんじゃないかと考えたからです。
そういった国に土地の耕し方やその土地にあった食べ物を教えたり機械を導入できれば、その人たち自身で収入がつくれると思っていました。
農学以外に考えていたのは、医学、国際学でした。
というか、高校1年生の時、考えていたのはどちらかというと医学か国際学のふたつでした。
医学部に行くなら理系、国際学部に行くなら文系、という狭間でずっと悩んでいました。
結局、「今自分ができる中で一番難しくてしんどいことをしよう」という発想で、医学部を志望することに決め、理系の道を選択します。
医学部に落ちた
もともと裕福な家庭でなかったこともあり、進学するなら国公立というのが条件でした。自分の中でも「私立にはあまり行きたくない」というのもありました。
しかし、国公立は私立と比べて学費が安い分偏差値が高くなりやすいため、国公立の医学部医学科というのは難関、さらに都会の国公立となると最難関でした。
そこから2年間、部活と両立しながら自分なりに必死に勉強したのですが、「偏差値が足りそうにないな」という感覚があり、地方大学への進学を考えたときに思い浮かんだのが沖縄でした。
琉球大学の偏差値がめちゃめちゃ低かったからとかそういう理由ではなく(実際他大学と大きな差はない)、純粋に家族ぐるみで沖縄が好きだったから、という思いが強かったです。
「沖縄が好き」という話はあとでしますね。
そういった経緯で、琉球大学医学部に向けて勉強を始めました。
高3の夏にはオープンキャンパスにも参加します。
医学部には医学科と保健学科があり、医学科の説明は午後からで午前中空いていたので、その時に立ち寄ったのが農学部でした。
あの時他学部を選んでいたら、私はもしかしたら農学部にいないかもしれません。笑
その時説明してもらった先輩がすごく楽しそうに説明してくださったのを覚えています。
そして、センター試験を迎えるのですが、医学部医学科に行くには足りる点数ではなく、ほかの志望先も考えなければいけない、となりました。
- 点数が足りないまま医学部を前期も後期も受けて落ちたら浪人するか
- 後期だけでも別の学科に出願するか
という選択を迫られます。
センター前は「点が足りなくても浪人してやる」という気持ちでしたが、両親に浪人を反対されたことや浪人に対して弱気になった部分があり、「別の学部の受験をしようかな」と思い始めました。
そこで思い浮かんだのが農学部でした。
先ほど説明したように、もともと興味のあった学部だったということ、 そしてオープンキャンパスでみた先輩が熱中していたからきっと面白い学問なんだろうということを踏まえての結果、行きついた答えでした。
農学部に進学しようと思ったもう一つの理由
- もともと興味があった
- オープンキャンパスに行っていた
という理由のほかに、もう一つ理由があります。
それは、「将来やりそうなことからちょっと離れたことをしたかった」ということです。
これは1つめと真逆の話になるかもしれませんが、これは農学部に少し興味を抱いた当時にしたいと思っていたことと、医学部に向けて勉強していた2年間で考えが少し変わったことが原因です。
変わった考え方というのは、医学部に入ろうと思ったくらいから、貧困などで苦しんでいる人は先進国にだっているし、性別やジェンダーで苦しんでる人もいて、私はそういう人を救うのにだってきっと喜びを感じられるだろうなと思ったという部分です。
「別に極貧国でなくてもいい」
と思うようになると、私の夢を実現するにあたって、農業ってあんまり必要ないような気もします。
もしかしたら思わぬところで強みになるかもだけど。
そして私は、その「思わぬところ」を期待しています。
自分の思ったところにまっすぐいけなくなったからこそ、「これは寄り道しなさいってことかな?」と思い、「じゃあ、好きな学問をやろう」と考えました。
そこで、中3くらいから生物学が好きだった私は、「農学部に行ったら植物扱えるし生物の勉強も役に立つやろ!」と思って農学部に決めたという部分もあります。
理学部にも生物を勉強できる学科もあるのですが、理学部ってずっと数学科とか物理学科のイメージで。
さっきもいったように、考える時間がセンター終わってから志願書提出期限までの数週間だったので、イメージ優先で学部を決めてしまいました。
別に間違いじゃなかったとは思いますが、事前にちゃんと学部を調べておけばおかったなと思います。
「生物が好きで農学部にしました」と言っても、「なんで理学部じゃないの?」とツッコまれたときに答えられないのがしんどいですね。
農学部に行くなら…沖縄かな?
「農学部に行こう」と決めたとき、「やっぱり都会より自然と距離の近い地方がいい」と思いました。
でも地方に行けば、なかなか県外に出れない、ましてや都会には(お金や時間の問題もあるので)なかなか出ていけないという想像は容易につき、
「じゃあ、自分の好きな地域に行こう」
と思いました。
そこででてきたのが沖縄でした。
沖縄がなぜ好きだったのかは次に話しますね。
それから、もともと私が「農学部にいってもいいな」と思い始めたのが、「途上国の農業を盛り上げたい」というイメージがあったという話もしました。
途上国には暖かい地域が多いイメージだったので、そういう点でも、日本で唯一の亜熱帯である沖縄というのは魅力的でした。
以上が、私が沖縄に進学しようと思った、1つめの理由です。
沖縄が好き
家族旅行でよく来ていた
沖縄に来た2つめの理由は「沖縄が好き」ということです。
これは、中高生のころから、よく家族で沖縄に来ていたことが大きいような気がします。
中高生の時は私の部活が厳しく、確定している休みは年末年始のみ。
(お盆休みもありましたが、日程が前後しやすかったです。)
そんな状況であっても、年末年始に合わせて飛行機をとり、沖縄で年越しをしたことが2.3回ありました。
父が車を借りて、伊計島や古宇利島などに行ったり、首里城を観たりしました。
沖縄の一番好きな部分は自然でした。
沖縄で特にオススメするスポットは「斎場御嶽(せいふぁうたき)」と呼ばれる神聖な場所で、自然の広大さとともに、神々しさも感じられてとても好きです。(南部にあるから行きやすいしね)
話を戻しますね。
そうやって、沖縄に何度も行くうちに、沖縄の自然や文化に触れあうことができ、文化の独特性や自然の広大さを感じるたびに「いいなあ」と思うようになりました。
移住してからは、思ったほど自然に触れ合う機会はなかったような気もしますが、それでも友達と遊びに行った帰りにふらっと「海寄ろー」と言えたり、一日休みができたときに「離島に行きたいです!!」といえば友達が連れて行ってくれたりするので、間違いじゃなかったなと感じています。
以前も紹介しましたが!!
— S.A.M.U. (@Sam_mi_36) 2020年4月19日
沖縄のいい所はポッと空いた休みに
友達誘ってふらっと車で離島に行けるところです
古宇利島の海最高に綺麗やったし
またはやくふらっと北部に行く生活がしたいなー#ワッター自慢の沖縄 pic.twitter.com/fAtCuh17xF
暖かいところが好き
沖縄が好きなもう一つの大きな理由としては、自分が結構な寒がり体質、という部分が大きいのかな、と思います。
冷え性で、夏も「クーラー効きすぎちゃう?」と思うことが多く、おなかも壊しやすいため、寒さは天敵です。
だから「暖かいところに住んでみたいなあ」と思っていました。
好きなところに住むとか好きなところで勉強するって、すごく大事やと思うし、そこの気候が自分と合ってるならそれ以上にいいことってないと思うんですよね。
だから私は、沖縄に進学を決めました。
これから
学んだこと
大学選びで学んだことは「失敗したときのことをちゃんと考えること」つまりリスクヘッジをしておくことです。
高校生のころは「自分が落ちるんじゃないか」と考えるのが嫌で、点数が足りなかった時のことをあまり考えていませんでした。
もっと言えば、「浪人しようかな」という考えはあったのですが、両親に浪人は反対されていました。
でも点数をとれないことを考えるのも、ましてやその想定で親と議論するのも嫌でした。体力使うし。
そうやって失敗の準備をせずにセンターを受験して、点数が足りないとわかってからほかの学部に行くことを考え始めました。
私はどちらかというと農学でフィールド的なことをやるイメージで入ったし、生物学を学ぶつもりで入りました。
でもうちの学科は、どちらかといえばホワイトカラー(研究特化)だし、農学や植物の研究となると生物もだけど化学もがっつり使う、といったギャップに入学してから気づきました。
こうならないように、本来なら高3の夏や高3になる前の時点で、最悪の状況も考えて周り(今回の場合なら両親)と相談しておくことが必要だったと思います。
失敗の想定は、絶対にしておくべきなんだと学びました。
ポジティブな面でも学んだことがあります。
それは、「全力でやるなら寄り道してもいい」ということです。
医学部に向けた勉強をする中で、「自分はどんな医者になりたいだろう、医者になったらどんな人を救いたいだろう?」ということを考えることが増えました。
その考えた内容については、医者になれない今では役に立たないかもしれません。
でも、その時に「助けたい」と思った人たちの共通点を考えると、「環境に恵まれない人」というのが浮かび上がりました。
そしてそれが今の夢に繋がっています。
「必ずしも極貧国に行きたいわけではない」と気づいたのも本気で医者になるために考えたからこその結果だと思います。
これからやりたいこと
大学進学の件はいいようにも悪いようにも捉えられて、沖縄に来たからこそ今ブログ書いたり学生団体にも入れているのでありがたい限りです。
「フィールドワークが思ったより少ない」というのは想像とのギャップがありましたが、その分「研究者にしかわからないこと」がわかるのは利点だと思います。
現時点で研究職に就くイメージは薄いですが、だからこそ、「全力の寄り道」に最適だと思います。
「研究者の考え方」や農業、もしくは自分の研究分野(今後確定する)に関しては最強になってやるくらいのつもりで取り組んでいきたいと考えています。
また、医学部に入れなかった分、学校の勉強以外に使う時間が医学部生になるときよりも増えるんじゃないかと思います。
だから、アクティブに学生団体に関わったり、ボランティアに行ったりということもできると思うので、積極的にやっていきたいます。
夢、語ります!!
こんにちは!さむ実です。
先日、「夢、語ります!」から始まる以下のツイートをしました。
夢、語ります!!!
— S.A.M.U. (@Sam_mi_36) 2020年4月14日
私は将来、
生まれた環境(性別、国籍、貧富など)で
苦しむ人を減らしたいです。
それが、国内が国外か、
どんなかたちの仕事になるかは
わからないけど。#バーチャルグッジョブ
このツイートが、FF外の方からも反応を頂いて、せっかくなので140字じゃなくてしっかり語りたいなと思いました。
現時点での夢なのでそのうち変わるかもしれませんが、だからこそ今の気持ちを言葉に残したいなと思います。
私の夢
私の夢は、「生まれた環境によって苦しむ人を減らしたい」ということです。
「生まれた環境」というのは、国籍や性別、貧富などです。
例えば、貧しい国に生まれたから学校にいけない子供や、シリアで女性として生まれたから人権が保障されない、そんな人を少しでも減らせたらいいな、と思っています。
ただ、別に海外青年協力隊がしたいとか、NPOを設立したいとは思っていません。
むしろ、ボランティアみたいな部分には限界があると思っているのと、今学生団体やインターンでやっている、「お客さんのニーズを考える」部分がすごく楽しいので、企業として、という形が理想だと思っています。
少し話は変わるかもしれませんが、この間『FACTFULLNESS』という本を読みました。その中の世界の分類のしかたがすごく勉強になったので、それで話を進められたらいいと思います。
『FACTFLLNESS』の著者曰く、世の中には「先進国」と「途上国」という2つの分類ではなく、その間にも多くの存在しているといいます。そこで、国民1人あたりの1日の収入で「レベル1~4の国」に分類するというものでした。
私たちが普段「途上国」と言いあげられる国は「レベル1~3の国」全て混ざっていることが多いです。
しかし、その内容としてはレベル1の国を想定していることが多いそうです。
レベル1の国では、多くの人が学校に通えず、その日一日を必死に生きています。これが、世界中の人が「途上国の人の暮らし」と聞いて想像するものに当たります。
ところが、レベル2の国では、子供の中の何人かあるいは全員が学校に通うことができ、少しお金をためて、靴や自転車を買うことができます。レベル3の国では、子供全員が学校に通うことができ、さらに貯金もできます。突然医療費が必要になっても、レベル2に逆戻りしなくて済むそうなのです。
『FACTFULLNESS』では、私たちが想像しているより、世界は「真ん中の人」が多いということを教えてくれます。
さて、本題に戻りましょう。
私がなぜこの話をしたかというと、私のやりたいことはレベル1の人を助けることではなく、レベル2や3の人の生活を豊かにすることかなと思っています。
先ほども言いましたが、私はNPOやボランティアがしたいと思っているわけではありません。むしろ利益を追求していきたいとすら思っています。
ただ、今話したように、レベル1の人はその日の食事のことで手一杯です。
そういう人たちを助けるには、予防接種などの基礎医療、読み書き計算ができるようになるための学校、きれいな水が手に入るような上下水道、学校や病院に安全に簡単に行けるような道路の整備です。
そこで利益を目的にしてしまうと、事業が進まなくなるので、国金を使って、あるいはレベル4の国々から支援をもらって進めていくべきですよね。
それよりも私は、レベル2や3の国に行って商売をしたいです。
例えば、レベル2や3の国の人に生理用品を売るとか。
月一回、女性にだけ来る月経が少しでも気にならなくなれば、女性としての人生をほんの少しだけ楽しめるようになると思います。
そんな形で、生まれた環境を楽しんでもらったり、気にならなくなる手伝いをしたいです。
夢見た理由
私がこういった、「環境に恵まれない人を助けたい」と思うようになったのは全然最近ではなく、むしろきっかけを覚えていないくらい前の話です。
テレビで見たのか、母から話を聞いたのか、本で読んだのか、全然定かではありません。
日本の戦争の話を聞いたときに、今でも同じような紛争が絶えない地域があり、15歳くらいの少年少女がなくなっていると知り心を痛めました。
また、カカオ農園での児童労働のことを知り、紛争はなくとも、学校に通えず、その日の食べ物のために必死で働いている子供のことを知りなんとかしたいと思うようになりました。
日本にも「相対的貧困」と呼ばれる問題があることを知りました。給食がその日の一番のご飯になる子もいると知りました。自分も小学生までは母子家庭だったこともあり、そういった家庭の事情はなんとなく想像がつきました。
また、中高女子校に通っていた影響もあり、ジェンダーについて考えるきっかけにもなりました。当時、そういったニュースも盛んに取り上げられていたのもあります。
私はそういう話を聞くたび、「私にできることはないか」と考えてきました。
私の興味が「生まれた環境のせいで苦しむ人」にあったから、将来もそういうことを仕事にしたいというようになっていきました。
世界中に、そうやって「生まれた環境」で苦しむ人はたくさんいます。
だから、今のところ、場所(where)やどうやって(how)という部分は選べていません。でもそこは、もう少し後で決めてもいいかな、とも思うのです。
大学でやりたいこと
大学では、なるべく多くのことに手を出したいと考えています。
その理由は2つあって、1つは、自分の得意分野と苦手分野を把握したいから。
Howの部分が決まっていないから、自分の得意な分野で勝負すればいいと思うので、自分が得意なものって何だろう、って模索したいということです。
2つめは、私の夢を叶える手段が決まっていないからこそ、何にでも応用が利くようにしたいから。
もし、私の理想通りの助け方がAだ!と思ったときに、Aがやったことなかったり知識不足だったら、時間がかかるし100のパフォーマンスが出せないかもしれない。そのリスクを今のうちに下げておきたいなと思っています。
それに、スティーブ・ジョブズが大学に潜り込んでレタリングの勉強をしたことが後々アップルのフォント制作に関わっているという話は有名です。今たくさんのことに挑戦することが後になって思わぬ形で生きてくるのではないかな、という淡い期待も込めています笑
今年度、2年次の間は、特に人とのコミュニケーションについて学びたいなと考えています。ちょっとコロナでどうなるかはわかりませんが…。
3年次の後期からは研究室配属があって、生物を扱うようになるので、今のようにいろんなところには出向けないかな~と思っています。
なので、フットワークが軽いうちにいろんなところに出向いてたくさんの人と話ができたらと思います。(みんな声かけてね♡)
そして一番やりたいのは(もうかれこれずっとやりたいことなんですけど)、いい加減海外に行きたいです。
最初の方にレベル1とか2とか言いましたが、全部本の知識で、全然自分の目で見れてないんです。
こんな私が「レベル2とか3の国に行って商売をしたい!」って言ってもペラッペラなので、ちゃんと海外に行って、自分の目で、自分がしたいことを見極めたいなと思っています。
その他、資格の勉強やブログなどは、挑戦の意味もありますが、コンテンツを増やしておいた方が学生団体入るにしろ、企業はいるにしろ「私が貢献できる部分」として強いかなと思うので、鍛えている、という感じです。
ここの部分も少しづつ増やしていきたいかなーと思います。
まとめ
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
私の将来展望や、「だから今これをやっているんだ」みたいな部分が共有出来たらうれしいです。
これからもみなさんの気づきや力になれるようなことを発信していけたらいいなと思います。
今後とも、よろしくお願いします(^ ^)♪
いろんなことを楽しむ方法
皆さんこんにちは!さむ実です
3月の3週目、久しぶりにバイトに行ったときにびっくりしたことがありました。
個人的に忘れられない原体験になりそうなのでぜひ書いておこうと思います
※それ以降は感染が怖いのでショッピングセンターのバイトとかしてません。でも楽しいから落ち着いたらまた行きたいなって思っています。
背景を説明しておきます
どういうバイトか
私は月に3.4回ほど、土日に派遣のバイトもしています。
(平日は塾で働いているので、そっちの話の方がよくTwitterに上がっています)
今回の「バイト」というのは、この派遣のバイトの方で、よくやる業務としては、「携帯キャリアのイベントの呼び込み」です。
携帯会社がショッピングセンターなどでビンゴゲームなどを開催しているのを見たことがある人はいるんじゃないでしょうか?
あれの呼び込みの人です。
もっと具体的に言うと、ビンゴゲームのビンゴカード配る人です。笑
ただ、普通に待っているだけでは来てくれないので、大きな声で呼びかけたり、笑顔で声をかけたり、子供に「どう?」ってたり勧めたりする必要があります。
あとハズレたりすると、「どうせハズレしかないでしょ」って言われたりと、詐欺みたいに扱われるのがそれなりにしんどい仕事です。
(ハズレしか入ってないことは私がバイトしていた中で一回もありませんでした)
なぜ久しぶりだったのか
そのバイトに行くのが久しぶりだった理由は2つあります。
- そもそも単発派遣だから
- インターンシップに行っていたから
1つめのそもそも単発派遣、という部分については、
このバイトのシステムで、私がその某携帯キャリアさんと直接契約しているわけではなく、派遣会社と契約し、そこの単発派遣のシステムを使って働いています。
なので、毎週土日あるとか、そういうのではなく、「今月稼ぎたいし、この土日暇だし働くか~」ってノリで働かせていただけます。ありがたい。
なので、毎週決まってシフトが組まれているわけではないので、派遣のバイトのシフト自体間隔が空きやすいシステムなのです。
そして2つめのインターンシップについては、前回の記事にもしているのでぜひ見てみてほしいのですが、2週間、Gutsというインターンに行っていました。
そのため、バイトをする時間が取れなかった、ということも間が空いた原因になります。
インターンの前に2週間半ほど地元に帰省もしていましたしね。
驚いたことって?
さて、そんなバイトで驚いたことですが、これはさっき説明したインターンシップと関係があります。
あんまり意識していなかった成長が、意外と私の考え方とか行動に大きく影響しているということを感じれたのです。
それは何かというと、
「笑顔」×「全力」=「楽しい」
ということです。
先ほどもバイトの業務内容については説明しましたが、私は平日は個別指導の塾で働いているため、就業時間のほとんどは座りっぱなしです。
しかし、今回驚きのあった派遣の業務は8時間立ち仕事というものです。
もともと全然好きじゃありませんでした。笑
声を出すのは嫌いじゃないけど、ずっと立ってるのはしんどいし。
最後の1時間はそれまでの倍くらいの時間に感じるくらい長いし。笑
それでもお給料の良さと、子供と触れ合える機会が多いという利点で続けていました。
しかし、この間、バイトに行ったとき、びっくりするほど時間が過ぎるのが早く感じました。
それほど「しんどい」という感覚もなかったのです。
1日だったらたまたまかな、と思いますが、その時は土日連続でお仕事に入っていて、足も精神も疲れているはずの2日目も同じように楽しく仕事を終えることができました。
意識したのは「笑顔」と「全力」だけ
私がそのバイト中に意識したのは、「笑顔でいる」ということ、そして、「全力で声を出すこと、お客さんに声をかけること」でした。
たったこれだけで、今まで嫌いだった立ち仕事の業務がすごく楽しく感じれたことに驚いたし、これっていろんなことに応用が利くんじゃないの?とワクワクしました。
「なんだー、根性論か。」
そんな風に思った方もいるかもしれません。でも、全然そうじゃありません。
まず、全力でやらないことには成長はついてきません。そして以前ブログでもお話ししましたが、人は「成長」を感じると、快感ホルモンが分泌され、それがさらに「楽しい」につながるのです。
そして、笑顔でいると、「楽しい」と感じる(ドーパミンが分泌される)ということはすでに研究からわかっていますし、同じく「笑顔が伝染する」ということも私たちは知っています。つまり、自分から笑顔になることで、勝手に「楽しい」と思えるし、相手にも笑顔になってもらえることで、「楽しい空間」「より笑顔になりやすい環境」をつくることができるのです。
せっかくだったら、全部楽しみたくない?
人生の中で、やらなければいけないことってたくさんあると思うんです。我慢しなければいけないこともたくさん。
だからこそ、その全部を楽しめたらどんなにいいだろう、って思いませんか?
ゲームをしているとき、好きな音楽を聴いているとき、趣味を楽しんでいるときだけ楽しい人生よりも、ほかの人が楽しめないことまで楽しめる人生の方が、ずっと楽しそうですよね。
だったら、一度、「笑顔」×「全力」、試してみてください。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
インターン実習を通して学んだこと
こんにちは、さむ実です
前々回、Gutsインターンシップの事前実習で学んだことを書きましたが、今回はその後の実習期間中に学んだことを書こうかなと思います。
Gutsインターンシップで学んだこと①と、Gutsインターンシップについての詳しい説明は以下の記事から確認してみてください!
実習先について
今回、私がインターンシップの実習先になったのは、
の2社です。どちらもとても素敵な企業でした!!
琉球インタラクティブ株式会社について
琉球インタラクティブは、沖縄発のインターネットベンチャー企業で、マーケティング、クリエイティブ、テクノロジーの3つの強みを活かし、「日本を代表するインターネット企業になる」ことを目標としている会社です。
事業は大きく3つに分けられ、
- インターネットサービス事業
- 次世代育成事業
- 戦略投資事業
があります。
くわしくはHPを見てみてください!
かつさと 浦添バークレーズコート店について
かつさとというのは愛知県田原市発のかつ丼チェーンです。「旨いかつ丼が食べたい!」に応える、というのをモットーにしています。
フランチャイズ制を登用しており、今回の実習中は一度も本社の方は見かけませんでした。
それでも、チェック表などが貼ってある感じから、ときどきは来るんだろうなーという感じでした。
かつさとの看板メニュー、かつ丼は、肉、パン粉、油、タレにそれぞれこだわりがあり、それが「旨いかつ丼」につながっています。
かつ丼以外のメニューもありますので、こちらもぜひホームページを覗いてみてください
必死でテイクするということ
インターンシップで学んだ一番大きなことは本当にこれにつきます。
「必死でテイクする」
事前学習の時は、机の前に座っていれば、講師の白井さんがたくさんのことを教えてくださり、また参画企業の人事の方が会社のことを熱く語ってくださいました。
でも、いざ実習が始まると、全然そうじゃないということがわかりました。
1社目の琉球インタラクティブさんでは、1時間半程度の会社説明があり、そのあとは「充電GO(モバイルバッテリーのレンタルサービス)がどうすれば大学生に流行るか考えてほしい」という課題に取り組み、最終日に発表というものでした。
考えなければいけない大まかな流れについてはアドバイスをいただきましたが、それ以上はほぼアドバイスはなく始まりました。
最初は戸惑いましたが、しばらくしてわかったことは「聞けば教えてくれる」ということでした。
充電GOについてや、わからないこと(例えば、SNS広告の仕方など)は、聞けば教えてくれるし本体の使い方などについては実際に見せてくれたりもしました。
忙しい時間の合間を縫って私たちの疑問に答えてくれた担当者の方には本当に感謝しています。
そして2社目のかつさとさんも、ぶっちゃけてしまえばほとんど「アルバイト」でした。
バイトの人に混ざって、配膳したりオーダーをとったり、仕込みも少し教えて頂きました。
でも、言われたことをただこなしているだけではただのバイトと同じでした。
「これってバイトと何が違うの?ただ働きじゃん?」
そう問いかけたときに、「飲食店の特徴を見よう」と視点を変えました。
これが社会と学校の違いなのかな、というのが正直な感想でした。
頭で分かってるのと体感するのでは全然違うんだということも身をもって学びました。
インターンシップに行くときも、社会にでたときも、自分なりの目的というのがめちゃくちゃ大事で、それを持っていないと本当に時間の無駄になってしまうんだ、という感じでした。
そして、大学生というのは半分社会人なのだということも同時に学びました。
なぜなら、「ちゃんと座って授業を受けなさい。教科書のココは覚えてきなさい」と口うるさくいう先生はいなくなり、周りの友達は、どうやってうまく授業をさぼるかを考え、1日の半分の時間は自由で、バイトに出かけたり、本を読んだりできるからです。
私たちが過ごしているこの1分1秒に意味を持たせるためには、今後自分がどうなりたいのかという明確な目的や目標が必要で、その目的や目標のもとに日々の学習が積み上げられていくのだということだと感じました。
「必死でテイクすること」
これはつまり、自分で目的を定め、行動し、その中で学習する必要がある、ということです。
2社まわったことの利点
Gutsは、2つの企業をまわることができるのが特徴ですが、2社まわったことにより個人的に面白いことを発見しました。
それは、「社内の全体を把握できる業種とそうでない業種がある」と言うことです。
簡単に言ってしまえば、業種間には差がある、ということなのですが、その中でも強く感じたのがこれでした。
1社目のIT企業では、先ほども説明しましたが、「マーケティング、クリエイティブ、テクノロジー」の3軸を強みとしています。
しかし、例えば人事の方は「コーディングとか、クリエイティブのあたりは触れない」とおっしゃっていました。
IT企業(少なくともインタラクティブ)では、マーケーターは、クリエイティブの部分は触れないことが多いということです。つまり、クリエイティブのことに関して、完全に理解できるわけではない、ということです。
逆に、2社目の飲食店では、小さなチェーン店ということもあり、バイトの高校生でもオーダー、調理、仕込み、レジとすべての業務をこなしていました。
もちろん経営は経営者のやることなので触れませんが、それ以外はしっかりこなしていて、そのバイトの高校生が分身の術を使えばこのお店は成り立つんだろうなー、という感じでした。
これは、飲食の業務がすべて簡単だと言っているわけでは決してないです。
規模により、習得時間に差は出るでしょうが、社内全体の業務を完璧に把握できる業種、あるいは企業と、そうでない業種・企業があるということです。
そういう部分って会社を選ぶ時の基準にしてもいいんじゃないのかなと思いました。
頭で分かっているのと、実際にやるのとでは全然違う
最初の「必死でテイクすること」でも言いましたが、実習では頭でわかっているのと体感することの差を感じることができました。
例えば、「与えられた課題の本当の意味・目的を理解しなければいけない」ということは頭ではわかっていたし、実習前の日曜日にちょうどその話をしたとことでした。
しかし、1社目、インタラクティブで「充電GOを大学生に広める」という課題を与えられたとき、「充電GOを大学生に使ってもらって利益を出さなければいけない」と、考え、設置場所についての検討をしていました。
しかし、課題の目的は「広めること」なので、「大学生に使ってもらうこと」まででよかったのです。
「大学で無料で配っちゃえばいいと思わない?」
人事の方にそういわれて、思わず、「ああ、確かに」と言ってしまいました。
本質的な意味を理解する、というのは思った以上に難しいんだな、ということを肌で感じました。
だからこそ、大事だといわれているんだろうな、と。
頭で分かっていてもなかなかできないことがそれ以外にもやっぱりたくさんあって、それらは経験や日常で意識するなどで解消していきたいな、という小さな目標もたちました。
まとめ
今回、実習を通して学んだことのすべてを書ききれたわけではありませんが、その気付いたことのほとんどはこれからの日々の生活に応用が利くものだなと感じました。
例えば、「必死でテイクすること」に関しては、自分の人生の目的みたいなことを日々意識して、自ら毎日の目標を掲げることで、インターンシップのような特別な場でなくても、成長をつかみ取ることができます。
こういったインターンや、ほかにも例えば学生団体やイベントなどの特別な場面では、どれだけ自分の今後の生活に転用できる事柄を発見できるかが大切なのではないか、
ということにも気づきました。
これからも、その一つ一つの小さな気づきを大切に成長していきたいと思います!
本日も読んでくださってありがとうございます!!
ヤバイTシャツ屋さんはちゃんとヤバかった―――"Galaxy of the Tank-top TOUR 2018DVD" ライブDVDを観ました
こんにちは!さむ実です
私いつも考えたこととかインターンの感想とか、ちょっと堅めの話多いなーと思って、まあ全然それでいいんですけど、
堅い話も好きなんですけど、私にはもう一つ好きなものがあって。
それが、”ロック”なんですよね。
もう少しいうと、よく言う「邦ロック」というやつで、これは「邦楽ロック」の略です。
ただ、個人的には、どこからどこが邦ロックで、という話は分かりません笑
本人たちがロックだと思えばロックだと思います。
調べたら定義とか出てくるけど、ちんぷんかんぷんでした笑
気になる人はググってね
さて今回は、そんな邦ロックの中でも「ヤバイTシャツ屋さん」というバンドのライブDVDを見た感想を書きたいと思います。
なんでロック関連の一発目がヤバTなん?とか聞かないでください。
理由は、ヤバTのDVDを今しがた見終わったからです。はい。
<注意>
今回、こやまさんのMCはニュアンスで書いてるので厳密な内容が知りたい人はDVDみてみてね
ヤバイTシャツ屋さんとは
ヤバイTシャツ屋さんというのは、関西出身のスリーピースバンドで、3人とも大阪芸術大学出身です。
ギターボーカルのこやまたくやの呼びかけで、当時軽音サークルに所属していたメンバーを集めて結成されました。本格的な始動は2014年、メジャーデビューは2016年です。
メンバーは、ギターボーカルのこやまたくや(以下:こやまさん)とベースコーラスのしばたありぼぼ(以下:ぼぼちゃん)、ドラムコーラスのもりもりもと(以下:もりもり)となっています。
今回記事を書くにあたって軽くではありますがはじめてちゃんとヤバTについて調べました。経歴とか見ると、紆余曲折ありながらもめちゃくちゃ勢いがあってヤバTほんまにすごいな、って感じでした。
ぜひ興味がわけば調べてみてください。
ヤバイTシャツ屋さん公式サイトのリンク貼っておきます。
ヤバTの世界観がわかるし、新曲のPVも見れるのでぜひのぞいてみてください。
ヤバTの紹介はこんなところにして、本題の感想に移ろうと思います。
独特の世界観に引きずり込むのがうまい
ロック、と聞くと、あんまりロックを聞かない人は「めっちゃギラギラしててかっこいい感じ」を思い浮かべると思います。
いや、ヤバTはかっこいい、わかる。
それは大前提として、そのなかでも、ギャグ要素の強いバンドです。
そういう意味で、独特の世界観があります。
このライブの出だしは、ヤバTのキャラクター・タンクトップくんがステージ上のスクリーンに映って話しだすところから始まります。
「Zeppベイサイド(会場)の最高責任者の斉藤さんがダークネスタンクトップの力にやられてる」
というなぞの設定から、みんなで「タンクトップ」コールをして、斉藤さんがダークネスタンクトップの力から目覚めてからライブが始まります。
もう書いててツッコミどころしかない。笑笑
でもヤバTってこうやって、ライブハウスを細かいことは考えんくても楽しめる空間にしてきたんやなって思いました。
ふざけながらも真面目な話を
でもちゃんと真面目な話もする。
ヤバTの良さはそのオンオフの使い分けやと思ってます。
やから、ヤバT聞いてる時は偏差値下げていいと思うし、ライブ行ってる時はもっと下がってもいいと思います。
ただ、その中にはヤバT自身の苦悩があるっていうのを、今回このDVDで初めて知りました。
後半、『鬼POP激キャッチー最強ハイパーウルトラミュージック』(以下:『鬼POP』)という、このライブで新曲として演奏された曲があります。
その新曲紹介として、ギターボーカルのこやまさんが言った言葉が心に刺さりました。
「『ヤバTの曲って中身がなくていいよね』ってよく言ってもらえます。
その言葉に悪気がないのも全然わかってるし、褒める言葉としてゆってくれてるんもわかるからすごく嬉しいです、ありがとう。
でも、結構内容をこめて作ってる部分もあって、それが伝わらんねやな、みたいな気持ちもありました。
そういうのを伝えたくて、今回のアルバムに収録されてる『ヤバみ』って曲を作りました。
結構途中は毒吐いたりもしたつもりやけど、サビで『ヤバミバミバミバミ』とか言うてしまったせいで、『やっぱり中身ないね』って言われてしまったんですけどね笑
この新曲は、その『ヤバみ』のアンサーソングになってます。」
たしかに、『ヤバみ』のサビにはこんな歌詞があります。
本当に言いたいことなんてほとんど伝わらないもんね
『鬼POP』の歌詞にも、
歌詞ちゃんと読んでくれてるのなんて君くらいだよサンキュー
伝えられん方が悪いんか、聞き流す方が悪いんか
という歌詞があります。
どちらも、「内容がない」と決めつけて聞き流してしまう聴き手への風刺に思えますね。
私もヤバT好きの先輩と話していた時、
「まじで内容ないよね笑笑」
とか、
「最後いい事言えばいいと思ってるよね笑」
とか言ってました。
ごめんなさい、ヤバイTシャツ屋さん。
一応褒めてるつもりです。ごめんなさい。
でもたしかに、ヤバTの曲って、正座して聞けばめっちゃ深いことを言ってる曲もあるなって思います。
そうして始まった『鬼POP』。
さらにアンコール前のラストは『ヤバみ』で締める、という。
ただ盛り上げるだけじゃなくて、曲の意味を少しでも感じ取ってほしいっていうメッセージのあるセトリだったのかな、と思いました。
『鬼POP激キャッチ―最強ハイパーウルトラミュージック』
『ヤバみ』
『初心を忘れないこと』
今回この収録はGalaxy of the Tank-top TOURの追加公演のラスト、25本の集大成としてのライブの撮影になっていました。
そのため、ところどころでそういう会話がでてきて、きっと本当に、大切にしてるライブやったんやろうなーって思いました。
それが特に伝わってきたのが、『サークルバンドに光を』でした。
『サークルバンドに光を』は私の中でも特別な曲です。ヤバTに沼ったきっかけと言ってもいい。
ヤバイTシャツ屋さんというバンドは、大学のサークルで作られたバンドから始まっています。
そして、メジャーデビューから1年でZepp Osakaという、キャパ1500人ほどの大きなライブハウスでライブをしています。
これは普通の事じゃないし、そうやってこやまさんも言うてました。
でも、Zeppを埋め続けられるバンドでいたいとこやまさんは続けました。
「前までは、サークルバンドの延長線でずっとやってきて、いつ辞めてもいいやって思ってました。
でも、Zeppを埋められなくなるんも、バンドを辞めるんも、今はダサいと思ってる。
そのためにどうすればいいやろって考えたときに、やっぱりサークルバンドのノリでやってきて今があると思うので、その初心を忘れんかったらいいんちゃうかなって思います。
今回ツアーで25本やってきて、やっぱり初心は忘れたらあかんなって思いました!!」
そういって『サークルバンドに光を』が始まりました。
私がこの曲が好きな理由はその歌詞にあるんですけど、
いつだって自分のペースで やりたいことだけやりたいって
わがままなことを言ったって だめやってわかってるけど
やっぱりまだやめられない 好きなように
好きなだけ 歌うだけ
この部分の歌詞が、やりたいように生きる苦しさとか難しさとかがすごい共感できるなあって思いました。
そのうえで、周囲の目とか評判とか気にしてしまいながらも自分のやりたいことをやっていくっていう強い決意表明の曲の気がするんです。
やから、「初心を忘れたらあかん」っていうMCのあとに選ばれたんがこの曲やったんかなって思いました。
『サークルバンドに光を』(PVがないのでApple Musicです)
支え合うことの大事さ
もう1曲だけ、このライブで印象的やった曲について書かせてください。
それは、『肩 have a good day』です。
私がカラオケでよく歌う曲なんですけど、そんな話は置いといて。
この曲の読み方、わかりますかね?
"Have a nice day" を「ハバナイスデイ」って読むように、これも「かたハバグッデイ」って読みます。肩幅の歌です。
ボーカルのこやまさん、ほんまに肩幅狭いんで見てみてください。
この曲、
肩幅の広い人の方が 肩幅が狭い人よりも
発言に説得力が増す
という歌詞から始まり、サビも
肩 have a good day
肩 have a good day
と繰り返してる歌です。
なんでこの曲アンコールやねん、おもろ。さすがやな笑
って思ってたんですけど、この曲意外と深いってことに気づかされました。
この曲の最後にこんな歌詞があります。
君の肩幅は君のもの
僕の肩幅は そう 僕のもの
人はそれぞれ違う肩幅で
称え合ってともに過ごしていくんだ
2人肩幅は違うけど
歩幅だけはずっと合わせていこう
これまでもそう これからもそう
一歩一歩前へ進んでいこう
このDVD見るまで、ずっとこの歌詞はいい曲風に見せるためのカモフラージュやと思ってました。
でも、この歌詞の時に、こやまさんが
「人はみんなコンプレックスがあって、それはそれぞれ違うけど、
歩幅だけは、合わせていこう」
って言ってて、「ああ、なるほど」って思いました。
人って、肩幅とか、そういう自分じゃどうしようもできひんコンプレックスをいくつも抱えてる。
でも、歩幅みたいに、他人と合わせれるものもたくさんある。
「どうしようもない悩みは、そういう合わせれる部分がある人が、合わせていってあげようや」っていう、すっごいやさしい歌なんやって気づきました。
肩幅の狭い人は発言に説得力がないかもしれんけど、周りの人がちょっと立ち止まって話を聞いてあげることはできる、みたいな、そういうことが大事なんちゃうかっていう、すごい問いかけの歌なんかなって思いました。
ヤバTはたまには正座して聞かなあかんな笑
『肩 have good day -2018 ver.-』
それでも偏差値下げて聞いていい
ここまでいろいろ書いてきました。
ヤバT知らんかったけちょっと聞きたくなったって思ってもらえたらうれしいです。
なんだかんだ書きましたが、ヤバTは、楽しく聞くのが一番じゃないかなって思います。
歌詞聞いて「なんやねんこれ」ってなって、友達と話題になる、家族との話題になる、そういうのもめっちゃうれしいってヤバTは言ってました。
そうやって、「元気出た」とか、「喧嘩してた家族と話せるようになった」とか、そういうのがあるから、このバンドを続けていきたいって思うようになったって。
ロックってすごい寛容で、歌がうまくなくても、歌詞にメッセージ性があれば受け入れられるし、 バンドにコンセプトがあればファンがつく。
だから、聞き方だってたくさんあっていいと思うんです。
基本的にはちゃんと歌詞見ずに「音かっこいいな」「サビちょっとあほっぽいなー笑」でいいんじゃないかなって思います。
それで時々、時間のある時に「ちゃんと歌詞見よう」って。
そこで新しい気づきがあったら、それが、ヤバTが一番喜ぶ聴き方じゃないんかなーって思います。
今回、紹介しきれんかったみどころもたくさんあるので、ライブDVD、ぜひ見てみてください!!
あとライブでやってへん曲とか、やったけど紹介できんかった曲もあるんでヤバTはまってください!!笑
あとがき
今日は、さむ実の趣味の話をさせてもらいました!
ちょっと読みにくい部分もあったかも知れませんがご容赦!!
少しずつ進歩させていきますね!
読んでくださってありがとうございます!
本日紹介したライブDVDの購入はこちらから
2nd LIVE DVD「Tank-top of the DVD Ⅱ」 | ヤバイTシャツ屋さん OFFICIAL WEB SITE
ヤバイTシャツ屋さんのホームページはこちら
私が聞いてる曲が時々わかる私のツイッターもこのノリで載せとく