さむ|今日もげんきになる投稿

大阪出身、大学進学を機に沖縄に移住。

「自殺」と聞くとラッキーだったと思う

こんにちは。

 

今回は少し重めの話を書こうと思います。

 

それは、自殺について。

最近ニュースで、自殺の言葉をよく聞くようになったので。

 

以前は学生がいじめにあって自殺してニュースになるケースが多かったように感じますが、最近は芸能人が自殺するケースが相次いでいますね。
とても残念に思います。ご冥福をお祈りいたします。

今回はその自殺について思うところがあるのでその話をしていきたいと思います。

 

※今回の記事は三浦春馬さんとは関係ありません。

三浦さんのご冥福をお祈りいたします。

 

なぜラッキーだと思うのか

不謹慎なタイトルだったかな、とも思います。

「自殺」と聞いて、ラッキーだと思うなんて。

それは、別に「○○が死んでくれてよかった」という意味ではありません。
そんな風に思ったことは一度もありません。

 

でも、釣りのためにこんなタイトルを付けたのでもありません。

少し、私の思い出話に付き合ってください。

 

私は小学1年生から3年生の間、いじめにあっていました。

くわしくお話ししたいところですが、残念ながら詳しい記憶がほとんど残っていません。思い出せる範囲で書いていきたいと思います。

 

いじめのきっかけは何だったか覚えていません。

気付けば、いじめにあっていました。
母から聞くには、私は当時成績が良かったので、それを妬まれていたそうです。

 

もともと天然パーマがひどかったので、それをいじられたり、悪口を言われたりしました。無視もされたのかな…、あんまり覚えていません。
覚えていないのは、あの空間から抜けることができたときに、解放されたくて、つらい気持ちを持ち続けたくない一心だったと思います。とにかく、詳しいことは覚えていません。

いくつか記憶に残っているのは、靴を隠されたことと、私がどうしても外で遊びたくなって、ひとりで校庭に出て雲梯(うんてい)で遊んでいる間にお道具箱に入っていたでんぷんのりがイスにこぼされていたこと。あとは、母から鉄棒から落とされて頭売って帰ってきたこともあるよと教えてもらったことがあります。鉄棒から落とされたの覚えてないってナニゴト。

周りに相談できる大人がいなかったのは覚えています。母からも祖母からも「なんかあったらいいや」と言われましたが、もともと他人に迷惑をかけたくない性格だったのもあり、もともと自分のかっこ悪いところを見せるのが嫌な性格もあり、身内に相談はできませんでした。

それでも母は交換日記を使うなどして、なんとか気づいて学童をやめさせてくれたりといろいろ対処してくれました。

先生を頼れると思ったことはありませんでした。圧倒的に見て分かるはずなのに何の対処もされていない。その中で「何かあれば言ってね」と言われたこともありますが、現状なにもできていないのに、これ以上話して何になるんだろう、と思っていました。

 

結局転校することでしかいじめを解決させられず、ひとつ校区が遠い小学校に通うことになります。そこでは友達もでき、残りの3年半を平和に暮らしました。

私が一番記憶に残って離れないのは、最後転校する前に学童の先生が気を遣って(?)私を前に立たせ、「この子が転校します」と紹介してくれたのですが、その時同じクラスで同じ学童に通っていた男の子に思いっきりガッツポーズをされたことです。

「ああ、私って本当に要らない存在だったんだな…」と改めて感じました。

 

 

前置きがずいぶん長くなりました。

「自殺」という言葉を聞いて、私がラッキーだったと思う理由についてちゃんと話します。

 

その理由は、どこまでひどいものだったか忘れましたが、いじめにあい、自分の存在価値を見失い、誰を頼っていいかわからなかった私が、自殺を図らなかった理由と重なります。

「自殺」を知らなかったからです。

 

それは、明瞭におぼえています。

小学3年生だったか4年生だったか、転校した後のことでした。

おばあちゃんの家で、ニュースを見ていた時、ある学生がいじめが原因で自殺した話を聞きました。そこで、初めて自殺という言葉を知りました。

もしかしたら、死ぬことを本当に理解したのもその時だったかもしれません。

 

「自分で死ぬことができるんだ…。私が『自殺』と、そのやり方についてあの時知っていたら、私はもしかしたら…」

そう思った感覚は、忘れもしません。

 

「自殺」という言葉を聞くたびにラッキーだったと思います。

その言葉と、意味と、やり方を知るのがもう少し早ければ、私という人間はこの世にいないかもしれません。

その言葉を知らなくてよかった。聞いたのが今でラッキーだった。

寝るのだけが一番の楽しみだったあの頃、今のように寝る間を惜しんで人と会い、寝る間を惜しんでブログを書く未来なんて想像もしなかった。

死ななくてよかったと本気で思っています。

 

 

逃げれるなら逃げよう

「死ぬくらいなら逃げよう」理論には賛否両論あります。

というか、そもそも、逃げれる範囲なんて限られています。

 

子どもが虐待で苦しんでいるとき、親から100%逃げられるかと言われればそうではありません。

過去のトラウマにとらわれて苦しんでいる人が、環境を変えて逃げられるかと言われれば疑問が残ります。

 

もう一つ。

以前、Twitterであるあるマンガを読みました。
そこに書いてあったのは「辛くて逃げてもいいと言うけれど、なぜ被害者側が苦労して環境を変えなければいけなくて、加害者側は能々とそのままでいれるのか」という内容でした。

その話も、確かに、と思う部分がありました。

 

でも、もし逃げられる環境なら逃げた方が良いと思います。

転校できるなら転校した方が良い。
親戚の家に行けるなら行った方が良い。
保健室登校で許されるなら、保健室に通えばいい。

そうして自分の命が守れるなら、守った方が良いです。

 

そうして生き延びたら楽しい未来が待っている、なんて、キレイゴトは言えません。

私だって今でもあのガッツポーズを思い出して悔しくなるし、いじめられていたころから他人の目線を気にする癖は抜けないし、なんとなくずっと死にたいです。笑

正直そんなもんです。いじめがなくなったからって、その時否定された事実も記憶もなくならないので。

 

でも、あの頃よりずっと楽しく生きています。

苦しい思いをする頻度もあの頃よりはずっと減りました。

逃げることですべてが楽になるわけではないけれど、逃げて、環境を変えるだけで救われる可能性だってあります。

だから、死ぬか迷うくらいなら、必死にその環境を変えてみてください。

 

 

まだ助け方がわからないんだ

正直、死にたいと思っている人の助け方なんてわかりません。

私は、その環境を抜けた後で「自分で死ぬ」ことを覚えたので。

 

でも、何か伝えることであなたが助けられるなら、うれしいです。

アドバイスをすることはできませんが、話を聞くくらいならできます。
「そっか…」しか言えない私でよければ、話は聞きます。

 

「死なないで」なんて、言えません。

その気持ちは、わからないから。

例えいじめにあっていたとしても、私とあなたの状況は違うし、未来も違う。

死なないことで必ず救われるというのは、幻想かもしれないから。

 

でも、死ぬことは最後でもできるから、だったら生きているうちにできる手段全部使いませんか?と思います。

環境を変える。学校を変える、会社を辞める、家を出てみる。

何でもいい。必死で生きようとしてみてほしいです。

 

私は「自殺」をあの時知らなくてラッキーだったと思います。

だってこんなに応援してくれる人に出会えて、夢を持てて、友達に出会えて、自分の言葉で伝える術を持てているから。

 

自殺するのは、最後の手段にしましょう?