さむ|今日もげんきになる投稿

大阪出身、大学進学を機に沖縄に移住。

古宇利島に行った帰り道、夢について語った話

こんにちは!大阪から沖縄に進学したさむ実です!

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私は、昨日古宇利島に行ってきました!

古宇利島というのは沖縄県にある「ハートロック」で有名な離島で、離島とは言いますが、本土から橋がつながっているので車で行くことができます!

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沖縄に来た際はぜひ行ってみてください!

 

 

今回の公理島は友達と二人で行ったのですが、古宇利島までは片道2時間半~3時間程度。

ゆっくり話す時間があったからか、私たちの話題は将来の夢の話に。

今回は、その話の内容と、私が思ったことを書いていこうと思います。

 

 

夢の話、友達としなくない?

どういう脈絡でそんな話になったかは忘れましたが、気づくと私たちは将来について語っていました。

とはいっても、友達のほうは明確な夢は持っていなくて、私が語って、友達がそれに反応してくれる、という感じではあったのですが、

その時、友達が私がずっと思っていたことを代弁してくれました。

 

「こんな話、学科の友達とできんよな?」

 

その友達は同じ学科の友達なんですが、確かに、その子以外に真面目な話ができる友達はいませんでした。むしろ、私はその子がいるだけましな方なのかな、と思いました。

 

普段、友達といても、恋バナしかしないよね…。

それはそれで楽しいんだけど、長い目で見て振り返ると、なんか物足りないんだよね…。

私たちはそんな話をしました。

 

なんで、学科の友達とはこんな話ができないんだろう。

私たちは、大学生なのに。

みんな、何か夢とか目標があって大学に来てるはずなのに…。

大学の進学率が上がって、みんなが進学するから進学してきた子ばっかりなのかな…。

私は、ずっとそう考えてきました。

 

目先の目標を目的と勘違いしてしまう社会の構造

こうなってしまうのはどうしてなんだろう。

そう考えたときに、思うのは、教育も含む社会の構造が、目的と目標をすり替えるからかな、と思いました。

 

1つ質問させてください。

目的と目標の違い、わかりますか?

わかるなら、それはどこで学びましたか?

 

目的は、最終的に実現しようとして目指すもの

目標は、目的を実現させるために先のことではなく、今実現しようと目指すものです。

 

私は、大学1年生になるまで、この違いを知りませんでした。そして、その違いを教えてくれたのは、学生団体の先輩でした。

中高の時も、確かに夢について考える時間があったと記憶しています。でも、目的と目標の違いは教えてくれなかった。

それに、教えてもらうまでは、なんとなく目的と目標の立ち位置が逆だと思っていました。つまり、目的を達成した先が目標、だと。

 

このことが、なぜいけないのかというと、「目的と目標を混ぜて考える人が多くなってしまう」からです。

 

「〇〇するために△△(職業)になりたい。そのためには□□大学に入ろう!」

というのがよくある進学先の選び方なんじゃないかと思います。

ここでいうところの、○○が目的で、△△(職業)や□□(大学)は目標なのです。

しかし、受験勉強などにより、「□□大学」にフォーカスが当たってしまい、大学に入ったらそこがゴールになってしまう。

あるいは、「夢は?」と聞かれたとき、「△△」の部分をみんな聞きたがる。そのために、将来の話をするとき、「何になりたいの?」と聞いてしまうような社会の構造ができてしまう。そう感じます。

 

でも、大切なのは、「〇〇」の部分です。逆に言えばその人自身は〇〇に課題意識を持っているんだから、別に〇〇が達成できれば、最悪△△にならなくてもいいのです。

例えば、「難病の人を救うために医者になりたいから、医学部に行こう」となったら、大事なのは「医者になること」ではなく、「難病の人を救うこと」なんだから、新薬の開発者になってもいい。

でも、世間は「医者になるんじゃないの?」と、なるわけです。社会が、目的と目標と手段をごっちゃにしてしまっている。だから、「夢」と言われて、「職種」を考え、「そんなのないな~」となってしまうんじゃないかと思うのです。

 

 

夢についてわかっている親や教師が少ないんじゃないか

そんな社会の構造が出来上がってしまっているせいかもしれませんが、「夢を持つ大切さ」や、「夢とはどういうものか」について語れる大人がいないんじゃないのか、それが問題なのだと私は思います。

特に、将来について多感になる中高生の時に関わる大人である、教師と親が、それについて持論を持っているかとか、熱く語れるかとか、そういう部分が必要なんじゃないでしょうか。

そうして中高で培った持論を展開する場が大学であればいいな、と思います。

 

今は、YouTuberなどが、「好きなことを仕事に」という話をする風潮があります。

今私が言った、中高生にとっての身近な大人が教師と親だけでなく、YouTuberみたいなエンターテイナーが増えて、そういう人たちが、夢を叶える楽しさを語っていけば、もっとみんなが夢について語る時代が来るかもしれません。

 

 

夢を持たない主義 でもいい

ときどき、「夢を持たない主義」の人がいます。

私のツイッターのフォロワーさんにも一人いるし、夢について語った友達もそうでした。

「夢を決めてしまうと、その夢に続かないことは捨ててしまいそうだから」

私は、それでもいいと思います。

さっきも言ったように、夢に対する持論をみんなが持って、それを語る場があればいいなと思うので。

 

ただ、私のフォロワーさんと、その友達とには、明確な差があります。

それは、「何かを意欲的にやっているか」。

フォロワーさんの方は、いろいろなことにチャレンジしています。いつも、私のモチベーションになっていただいています 笑

でも、その友達の方は、その「夢を持たない主義」が、言い訳に聞こえるような過ごし方しかしていませんでした。

だから、その子にも、そのことを説明して、「あなたのは言い訳にしか聞こえないよ」と教えました。

 

持論を持つことも大切ですが、それを体現していないと説得力がないということですね。

逆に、そのフォロワーさんのように、いろいろ行動している方がいれば、「なるほど、一理ある」ってなるわけです。

 

 

まとめ

今回伝えたいことは、夢をもっと語る場が増えてほしいな、ということです。

そして、将来なりたいものより、なぜそれになりたいのかについてもっと興味を示す世の中になればな、と思います。

 

 

今日も読んでくださってありがとうございました(o^―^o)

さむ実でした!!